当たり前、じゃない [トホホ療養日記]
カラにしたおもちゃ箱に入って、NHK教育『みいつけた!』のオフロスキーごっこをしていた次女でしたが、私とふたりではとても退屈そう。そこに妹と姪っ子が遊びに来てくれたので、次女は大喜び。はりきって遊んでいました。ヨカッタ〜。
夕方、遊び疲れて次女が寝てしまったので、久々にカレーを作りました。私の傍らでは、長女が「ママすごーい。マーマ、がんばれ!」とエールを送ってくれました。
私が子どもの頃は、お母さんが家事をすることは「当たり前のこと」と思っていましたが、わが家では、お掃除しても、お料理しても、すごーく褒めてもらえます。特に娘にとって、ママが家事をする、ということは、「当たり前のこと」ではなくて、「ママが頑張ってくれている」と、強く感じるようです。
怪我の功名、と言うか、産後うつになったおかげで、娘は人一倍、思いやりのある子に育ってくれたようです。たくさん悲しい思いもさせたのに、不思議なものです。(長女の絵)
ヒマです [トホホ療養日記]
せっかくの自分だけの時間なのに、夕べのカレーをお昼に食べ過ぎてお腹痛ーい。
動けないので、録りためたテレビドラマを見ながら、のんびりしてます。
ラクだけどヒマです。今の私は、休むのが仕事なんですけどね。
ブログいっぱい書いちゃおうかな〜。
ソリ遊びにおでかけ [トホホ療養日記]
行き先は、「シャトレーゼスキーリゾート八ヶ岳」。現地で妹家族と合流しました。スキー場内のキッズパークの入場料は500円。3歳以下は無料でした。
パパによると、ちびっこがソリ遊びできるこちらのゲレンデは、比較的斜面がゆるやかなので、このスキー場を選んだそうです。ソリは持参していったのですが、無料や有料で借りられるソリやチュービングなども幾つかありました。隣にはちびっこスキーヤーのキッズゲレンデもありました。
パパと子どもたちは、ゆっくりと登っていく「動く歩道」に乗って上まで行き、パパ、長女、次女の3人乗りのソリで、ゆっくり斜面を滑り下りてきました。ちょっと窮屈そうでしたが。2才の姪っ子も慣れてくると、どんどん自分から動く歩道に乗っていました。お天気が良くて、午前中はあまり寒くなくてよかった〜。
最初は不機嫌だった次女は、お腹が空いていたみたいで、おやつを食べたら機嫌が良くなり、降りてくる度に、もう一回、もう一回、と言ってソリ遊びが気に入ったようでした。私は写真を撮ったり、ビデオを撮ったり、記録係です。シャトレーゼなので、帰りにはケーキも買ってきました。美味しかったです。
疲れたけど、子どもたちの楽しそうな顔が見られて、出掛けてよかったです。ただ、帰ってから長女がダウン。疲れが出たのか、風邪をひいたのか、心配です。私も明日はダウンかな。久々の「家族でレジャー」だったので。
まだ熱があります [トホホ療養日記]
39度以上あった熱は、朝には38度台まで下がりましたが、夕方になった今もまだ変わらず、お熱があります。一日中テレビを見て過ごしていました。
それでも、昨日は「歩くとフラフラする〜。」と言って、食欲もなく、お豆腐とフルーチェみたいな柔らかい物しか食べなかったけれど、今日は「お腹空いた〜。」なんて言って、食欲も出てきたみたい。昨日より良くなってきて、ちょっと安心しました。
それより眠くなってしまった次女がぐずって大変でした。眠いなら寝てよ!って感じでキレそうでしたが、一緒にゴロゴロしていたら、眠気が去ってしまったみたいです。何だったんだ、あの大騒ぎは。
解熱しましたが・・・ [トホホ療養日記]
解熱したようです。まだ少し咳が出ますが、また具合が良くなってきています。ヨカッタ。
でも・・・私の方が、夕べから不調。安心したら疲れが出たのかなぁ。
インフルエンザではありませんが、めまいがすごくて、お風呂を休んで寝ました。
今日も午後からはゴロゴロ。疲労感で目を開けていられません。またまたダメ状態です。
パパもお疲れ気味 [トホホ療養日記]
夕べは私が動けなくて旦那さまが家事をやってくれましたが、仕事が忙しいようで、かなりお疲れ気味。「はぁ・・・。」とため息をつきながら、家でも働くパパ。申し訳なくて、情けなくて、また泣いてしまいました。とほほ。
今日は私の母に次女を連れ出してもらいました。あまりにも身体が痛くて・・・。バファリンでなんとかこらえています。
でも、久々に山盛りのキャベツのサラダを作りました。以前は毎日のように作っていたのに、ホント、久しぶりにできました(ガッツポーズ)!
キャベツのシャキシャキ感が苦手なので、ドレッシングを合えて、しゃもじで混ぜてからしばらく置いておきます。そうすると、野菜から水が出てしんなりしてきて、食べやすくなります。
野菜もたくさん食べないとね。パパも喜んでたくさん食べてくれました。またちょっとガンバッて作れますように。
確定申告に行きました [トホホ療養日記]
お仕事は、家でパソコンを使ってのアルバイト。収入はそれほどでもないのに、バイト代から所得税がしっかり差し引かれています。ヒドイ。
でも「家内労働者」の租税特別措置法第27条というのが適用されて、収入が65万円未満の場合、必要経費で計上してよいので、確定申告をすれば差し引かれた額がまるまる返ってきます。(説明合ってるかなー?)
なので、どうしても行かねばならぬ!
それに、昨年分のわが家の医療費の合計が10万円を超えてしまったので、旦那さまの方の所得から医療費控除の確定申告をしました。かかった医療費のほとんどは私のですが・・・。
精神科、皮膚科、歯医者さん、内科・・・その他、薬局で買った頭痛薬や湿布などなど、一年間の領収書やレシートをためて、合計金額を計算しました。この時、予防接種や診断書の文書代などは計算に加えません。あと、還付金などがあったときはその額を差し引きます。
計算は集中力がいるので、うつ病の私にはとてもキツい作業なんですが、調子がいい時に根性で一気に電卓をたたきました。一昨年も医療費が合計10万円を超えてしまったけど、確定申告で返ってきたのは650円でした。超えた額がわずかだったので、頑張った割にはそれ程でもないかな・・・。
で、今回の医療費控除では1,800円でした。申告しなければ、ただのゴミだったレシートが1,800円になった、と思えば、頑張った甲斐があったのかな〜。
ちょっと良くなったかも? [トホホ療養日記]
私はおうちでお仕事。ここ3日ほどずっとパソコンで作業していました。疲れたよ〜。
昨日は次女に、キッチンの床を水性マジックで汚されて、泣きながら長女と拭きました。床は消毒用エタノール(薬局などでビンで売っている)でキレイになったけど、泣き過ぎて目が腫れているので、疲れ目はいつもよりヒドイはず。
でも、不思議なことが。以前より身体の疲れが少ないような気が。
いつもなら、これだけ働いたら起き上がれなくなっていたのに。寝る前にも、あれ?いつもなら今ごろ頭痛のハズなのに・・・と思いました。
産後うつになってから7年余り。普通に暮らす生活が、もはや遠い昔過ぎて思い出せず、体調が悪くならないことに戸惑っているところです。ハハハ。
抗うつ剤を増やしてから1ヶ月くらい経つかな。もしかしたらお薬が効いてきたのかも !?
これが、ぬか喜びじゃありませんように!
元気になったら、やりたいことがたくさんあるので・・・。
雑貨豊作でご機嫌 [トホホ療養日記]
小学校ではインフルエンザB型(うちの娘もかかりました)や、リンゴ病、溶連菌感染症など、いろいろな感染症が流行っているそうで、バーゲンをやっている近くのショッピングセンターなどに行きたかったものの、人ごみを避け、歩き疲れるほど広すぎないところを思案しました。
どこに連れて行ってもらおうかと考えた末、八ヶ岳方面にお買い物に決定。帰ってきてから、結局また「ダメな日3点セット」を使っていますが、楽しかった!
雑貨屋さんめぐりがしたかったので、パパにリクエストしたのは、「リゾナーレ」(http://www.risonare.com/)。森の中の宿泊施設や結婚式場として有名ですが、個性的な小さいショップが何軒か並んでいます。
そこでいくつか買い物をして、「八ヶ岳リゾートアウトレット」(http://www.yatsugatake-outlet.com)に移動。遅いランチをしてから、子どもたちを遊具で遊ばせている間に、旦那さまとかわりばんこにお買い物へ。
旦那さまはスポーツ用品・アウトドア用品がお目当て。私は雑貨のショップ「TGM」がお目当て。頭痛はひどかったけど、雑貨をいろいろ買えてご機嫌でした。パパありがとう!
と、思っていたら、旦那さまは帰るなり、またおでかけ。なじみのバイシクルショップで、注文していた新しい自転車を買って帰ってきました。今流行ってるけど、マウンテンバイクってけっこう高いんだよね・・・。
今日の家族サービスはそういうことか?・・・なんて勘ぐってしまいました。
帰りに車から見えた富士山。曇りで空も富士山も真っ白でした。
パパは残業 [トホホ療養日記]
昨日おでかけしたので、無理しないように休んでいたものの、とにかく一日中眠い!
これは昨日の疲れやお薬の副作用などではなくて、花粉症のせいかも。数日前からノドの痛みや目のかゆみがありました。マスクをして出歩いていたので、それほど症状はひどくないけど、この時期はいつも強い眠気を感じます。眠くて動きも鈍いです。
パパの仕事が忙しい時期になったので、残業のため帰りが遅くなってきました。うちの母が子どもたちの夕飯のおかずを作ってくれたりして手伝ってくれていますが、毎日どうしよう・・・と不安。
先週のある日は、順調に家事をして、子どもたちとお風呂に入ったものの、そこでエネルギーが切れてしまい、お風呂から出られなくなりました。娘たちをこれからどうしよう。ヤバイ、お風呂で遭難した・・・。
そう思って困っていると、パパが帰宅。助かった〜。1時間ぐらいお風呂に入っていたかなぁ。長湯で手がシワシワになってしまいました。
今日もどうしよう。
春を見つけました [トホホ療養日記]
夜型生活 [トホホ療養日記]
もともと子どもたちの寝る時間は10時くらいでしたが、私に子どもたちをお風呂に入れるエネルギーがないので、パパの帰りを待ってからの入浴。寝る時間は、11時過ぎになってしまいます。ママが動けない家では、パパが頼りです。
遅くまで仕事をしてきてお疲れなのに、「遅くなってごめんね〜。」と笑顔で子どもたちの世話を手伝ってくれるパパ。偉いです。こちらこそ、ごめんね、です。
しかし毎日眠い・・・。春の陽気に加えて寝不足で、朝からお昼寝していた今日このごろ。
こんな風に過ごしていると、以前ならパパに申し訳ない、とか、うつ病を言い訳にして怠け癖がついてしまったんじゃないか?とか考えてしまって落ち着かず、家の中をウロウロしていましたが、この頃は、無理しないで休もう、と毛布を被ってお昼寝することができるようになりました。
今日は朝から調子が良かったうえに、妹と姪っ子がランチに誘ってくれたので、次女と大型ショッピングセンターへ。私にはハードルが高い場所です。
家からちょっと離れた場所にあるので、到着しただけで、ここまで来られた・・・と感激。お買い物もできて嬉しかったけど、帰宅してから眠くて起き上がれず。
長女の習い事の送り迎えも妹がしてくれました。ダメな姉ですまん。それにしても眠い。
地震怖かった [トホホ療養日記]
一番大きな揺れの時は、けっこう長く揺れていたので、長女とダイニングテーブルの下にもぐって、揺れがおさまるまでじっとしていました。寝ていた次女も毛布にくるんで、テーブルの下に寝かしました。私の地元の最大震度は5弱でした。
残業の予定だったパパも早く帰ってきてくれました。会社で初めて訓練じゃなく避難したと言ってました。
テレビを通じて次々と伝えられる被害。すでに亡くなった方もいるようですね。大変な被害が予想されて心が痛みます。被害に遭われた皆様が無事に家族の元へ帰れますように(祈り)!
強迫性障害 [トホホ療養日記]
地震と共に生きる国、というのを実感して、心に重く広がる不安。
11日の地震で大きく揺れた時、ついに東海地震が来たか、と思いました。
しかし、遠く離れた東北地方での巨大地震でした。信じられない・・・。
震源近くで被災された方々は、どれほど怖かったことでしょう(涙)。
地震の報道を見ていて、昨日は不安で苦しくて、安定剤を服用して寝ていました。
前に住んでいた家だったら、もっと不安で不安でしょうがなかったかもしれません。
部屋のしきりがガラスの引き戸だったので、割れたガラスが娘の上に落ちてこないかと不安だったり、大きな家具が倒れてこないか不安だったり。賃貸だったので大きな家具の固定もしづらくて、旦那さまにお願いして目立たないように細いワイヤーを引っ掛けて、鴨居から斜めに吊ってもらっていました。
地震が怖くて怖くて、いつも不安な精神状態で、ガラス戸と大きな家具に囲まれた部屋で、うずくまりながら娘と過ごしていました。地震への不安が頭から離れず、夜眠れないこともありました。
こういった強迫観念にとりつかれたように、不安感が頭から離れず、気にし過ぎてしまう、という症状があまりひどいような場合を「強迫性障害」というそうです。
引っ越してからは、耐震性なども考えて建てた家なので、その症状はずいぶん良くなったものの、今は防犯が気になって、鍵をかけ忘れていないか何度も確認しないと不安だったり、車の鍵も何度も閉めるボタンを押してしまいます。地震の備えももっと気にしなければ、という反省もありますが。
被災地の方々が早く安心して暮らせる日が来ますように。
これ以上、何か書こうとしても言葉が浮かびません。
被害の凄まじさが想像を超えています。
この大災害を乗り越えて頑張って欲しい・・・願うだけです。すみません。
大災害の影響 [トホホ療養日記]
頓服薬の抗不安薬が無くなっていたのですが、不安感が強く心に広がっていました。
今はきっと日本中の人が、災害への不安や、被災者の方々の状況を思い心に痛みを感じていることと思います。まだまだたくさんの方々が、生きて助けを待っている、と信じたいです。
主治医の先生は、大きな災害があった後だから、とお薬を1日2錠まで服用していいよ、と多めに処方してくださいました。先生が仏様に見えました。ありがたいです・・・。
私が病院へ行っている間に、妹はホームセンターへ。
お店は混み合っていて、防災用品などはほとんどなかったそうです。単1や単2の電池も売り切れていました。そして、ガソリンスタンドでも、給油を待つ車の列ができていました。給油の量も制限されていました。スーパーやコンビニに行った母が言うには、パンやお弁当などの食品も品薄だったそうです。カップラーメンなども、もう品切れだったそうです。
今日から計画停電も始まる予定でしたが、朝は実施されていませんでした。夜はどうなるのだろう・・・と、いろいろと準備をしながら考えていました。これからの毎日も。仕方がないけど。明日からは、娘の小学校の給食が停止となる、とお便りがきました。手弁当も用意しなければ。
微力でも節電しようと、照明は暗め。あまり使わないコンセントを抜きました。洗濯や食洗機もなるべくまとめてしようと思ってためています。夕飯はシャトルシェフの鍋で寄せ鍋を作っておきました。あとは何ができるだろう・・・テレビも消した方が節約になるけど、地震の報道が気になってしまいます。
夕方、緊急地震速報が何度か出て、その度に娘たちとダイニングテーブルの下に潜っていました。大きな揺れは来ませんでした。子どもたちには、私の不安感が伝わらないように、「大丈夫だよ。安心して。」と言っています。私の地震が怖いトラウマは、小学生の時に読んだ、大地震後の日本を描いたマンガでした。
災害に遭われた方々や、テレビで怖い場面を目の当たりにした子どもたちが、心に負った深い傷も心配です。身近な人を亡くすことは、最も大きなストレスとなるそうです。いずれご家族を亡くされた方々の心のケアについても進められるのでしょうか。
被災地で頑張っておられる方々に、日本中のあたたかい思いやりが届くといいですね・・・。
計画停電 [トホホ療養日記]
昨夜の計画停電中のわが家。
パパはただアウトドアが好きな人かと思っていたけど、何か非常事態が起こった時の為に、いろいろと準備しておいてくれたのだなぁ、と実感。
懐中電灯が明るくて、子どもたちは本を読んでいました。パパはすることがないから、と言って自転車のペダルをこいでトレーニング。いつも前向きな人だね。
計画停電と小学校の給食停止で、私も家事を計画的に進めています。やればできるじゃん、私。
旦那さまからは、あまり動き回るな、と注意されましたが、影響されやすいので、私も頑張らなきゃ、と思いました。テレビの報道を見ながら、東北地方などのあまりに惨い被害で胸が張り裂けそうで、抜け殻みたいになっていましたが、被災地で頑張っておられる方々もいるので、奮起しました。
被災地で奇跡が起きないかな・・・と願っています。
沖に流された方々が無人島に流れ着いてサバイバル生活をしながら助けをまっている、とか、瓦礫の下に大きな穴が空いていて、たくさんの人がかたまって助けを待っている、とか、勝手に県外に避難しちゃっていて安否不明に数えられている人がたくさんいる、とか。妄想ですが・・・まだまだ生存している方々が大勢いらっしゃることを、信じたいです。
夕べ遅く、大きな地震の揺れがありました(中部地方です)。
子どもたちもまだ起きていたので、家族で固まってテレビの地震速報を見ていました。また怖かったよう(泣)。実家では停電中、ろうそくを立てていたと聞いたので、停電中だったら火災が心配でした。今日も計画停電があるし、こちらも不安が続きます。
進学のはなむけ [トホホ療養日記]
大災害の影響で計画停電など大変不安定な時期に、親元を離れて大学の寮に住んで、自分の勉強したいことを学ぶそうです。何かの足しに、お祝金とフォトフレームを添えました。心配だけど、頑張ってね・・・と言うと、がんばります、と笑顔で答えてくれました。
4月になると、進学などで環境が変わる人たちがたくさんいることと思います。これからどうなるんだろう。今年は、今までよりも心配なことや、不便なことが多い春になってしまいましたね。でも、前に進まなければならないのですね。家族と離れても、どうか元気で、元気でいてください。
元気を出そう [トホホ療養日記]
このところ、地震コワイコワイ病(造語)や、計画停電に伴うあれやこれやで、情緒不安定&イライラ気味でした。ちょっとしたことで娘たちにキレたり、抜け殻みたいになってたり、一日のうちにアップダウンが激しくて、疲れました。
家族でお出かけして、ちょっと気分転換。子どもたちは大地震のショックがあるかと思いきや、けっこう元気。きゃーきゃー騒いでいました。私も元気を出さなければ。落ち着かなければ。
給食停止のため、久々に早起きしてお弁当も作れています。少しずつですが、できることが増えてきています。うつ病の症状が良くなってきています。だけどまだ無理するな、とみんなから言われます。
ブログも(つづく)のまま書きかけの記事があるので、またぼちぼち書いていきたいと思います。
パパは前向き [トホホ療養日記]
大震災後、「こういう時こそ経済活動を止めちゃダメだ。日本がますます不景気になるぞ。」と言っていました。確かにテレビでも、閑散とした観光地をレポートしてそんな論調も。
しかし、さすがに観光に行く気にはなれませんね・・・。わが家でも春の行楽は、せいぜい近場のショッピングセンターになりそうです。パパもスキーはお休み。ガソリンも節約しないとね。
産後うつになってから、家事ができなくなり、育児でもイライラ気味なことが多かった私ですが、旦那さまは特にそれについて、何も言いませんでした。
結婚してから旦那さまに怒られたことは、ほとんどありません。いつも笑顔で、リアクションに困るオヤジギャグを言っているくらいです。家事も育児も、たくさんサポートしてくれています。
こんな旦那さまのおかげで、産後うつを知らなかった間にも、私は追いつめられるところまで落ちないで済んだのかもしれません。
私がテレビドラマを見ながら、イケメンにうつつを抜かしていると、彼は「お前は面食いだなぁ。」とニコニコします。まるで自分がその俳優さんであるかのように・・・。
すごい、プラスに変換する能力をもっている人だなぁ、といつも尊敬します。天然かね?
大震災後の日々 [トホホ療養日記]
3月11日の大地震直後、たまたまうちの父が訪ねてきました。てっきり心配して来てくれたのかと思いきや、お米を届けてくれたのでした。私の両親はそれぞれ運転中で、うちの地域の震度5弱の地震に全く気づかなかったそうです。
気が動転していた私は「お米どころじゃないよ、今大きな地震があって大変なことになってるよぉ。」と言ってしまいました。
そして父と2人でご近所の一人暮らしのおばあちゃん宅へ「ご無事ですか〜?」と訪ねていきました。ちょうど親戚の方がいらしていたそうで、「ひとりじゃなかったから良かったけど、怖かったわぁ。」と言ってました。いつも優しいおばあちゃん、無事でよかった。
計画停電が始まって、節電に励みました。もう抜くコンセントがありません。しかし過剰に反応し過ぎても生活が不便なので、旦那さまに注意されます。
風水的には冷蔵庫の扉には何も貼らない方がいいそうですが、冷蔵庫の中身を書き出して、扉に貼り付けました。開け閉めの回数が減ったので節電になりますし、買い物や食事の用意も計画的にできるので節約にもなっていると思います。
小学校からの呼びかけに応じて義援金の募金もしました。ソネットポイントも。
原発の不穏なニュースを見ると超ブルーになるので、ちょっとしか見ないようにしています。心配性なので、放射性物質どうするんだよぉ、とますますブルーです。きっと日本中がそうですよね。
ひとつになろうニッポン!と呼びかけても、この放射能漏れをなんとか食い止めてもらわないと、士気が上がらない気がします。原発近くの危険な場所で懸命に活動している方々には申し訳ないけど。
被災者の方々のことを思い、ふっといろいろなことが頭をよぎります。いつでも会える、と思っていた人との突然の別れは、どれほどの喪失感だろう・・・。
テレビでちらっとみた話題ですが、岩手県に帰省した学生さんたちがボランティアで、震災の瓦礫の中にあった思い出の写真を持ち主の方に返す活動を始めた、というのがありました。すばらしい、と思いました。情が通った活動ですね。
娘たちの写真、もっと大切に保管しておかないとデータが飛んじゃうかも。うーん悩む。
地元のお祭りも中止になりました。引っ越してから、氏子のひとりとして旦那さまが神輿を担ぐのに参加していましたが、今年は祭りどころではありません。大きなイベントも軒並み中止ですね。
計画停電中、静かで次女とお昼寝してました。電気が止まるとこんなに静かなのだね。なんか、のんきで申し訳ないような罪悪感を感じます。すいません・・・。