仕事もがんばる! [産後うつ]
やっと仕事に取りかかれました。猛然と作業し続け、我ながら凄いハイペース(笑)。もう8割方できていますが、続きは明日やります。
今日は仕事ばかりしていた訳ではなく、お昼ごろ通院中の接骨院に行き、そのあと旦那さまの実家へ家族で行きました。孫である娘たちの顔を見るのを楽しみにしていてくれて、とても喜んでいただきました。
おまけに、夕飯までゴチになりました。焼き肉としゃぶしゃぶの美味しいお店に連れて行っていただき、舌鼓を打ちました。義父さんのおごりです。ラッキー。特に、焼き肉の上ロースが見るからにすごい霜降りで、網の上でファイヤーしてちょっと焦げました。でも美味しかった〜。
美味しいお肉をたらふく食べたので、明日もお仕事がんばります!
うつ病になった今でも、在宅でアルバイトを続けていられるのは、私の相棒、Macのおかげです。
計算機で計算をするのも難儀なのに、パソコンのキーボードを打つのはあまり苦になりません。フシギ。「慣れ」ですかね。ケータイでメールを打つのもノロノロなんですけどね。新しい事を覚えるのは難しいけれど、昔覚えた事で作業できています。ブログも書けるしね!
仕事は、うつの負担になるのでは・・・と思われるかもしれませんが、これを失ったらきっとガッカリして落ち込んでしまいます。
女性は家庭に入って子どもを産んだら、また仕事を始めるのは結構大変ですよね。好きな仕事なら尚更、一度手放してしまうと、また得るのは難しいと思います。
だから石にかじり付いてでも続けたい!という思いで今まで続けてきました。産後は、自覚がないままうつ病を発症していたので、尋常でなくツライ時期が長くありました。今考えると・・・あり得ない(苦笑)。
本当なら、もっともっと勉強したかったです。新しいことを学んで、もっとスキルアップしたかった・・・。買ったまま読めずにいる本が、もう30冊以上あります。悔しくてたまりません。
でもね、悪い事ばかりではありませんでした。
仕事は前よりずっとラクに出来るようになりました。ハードウェアもソフトウェアも進歩して便利になり、もう幾つもアプリケーションを起動して重いファイルを開いても、全然フリーズしなくなりました。なんて快適なの〜(ヤッホー)!
作業効率についても、無駄のない手順を考えるようになりました。なるべく自分に負担を掛けないように気を付ける事で、結果的に仕事が以前よりもずっと早く終わるようになりました。
それに、自分でレイアウトなど考えて印刷するお仕事もたまにあるのですが、以前は考え過ぎて悩んでしまう所がありました。うつ病になってからは、複雑なものは自分自身が受け入れられないので、シンプルで見やすいレイアウトを心掛けるようになりました。見る人にはその方が良いデザインなんだな〜、と学べました。
転んでもタダでは起きない女です(笑)!
気分屋ママ [産後うつ]
午前中は昼寝して悪夢にうなされましたが、午後からは溜まっていたお仕事から始めました。
それにしても、我ながらひどい「気分屋ママ」です。
こうはなりたくなかったのに、いざ親になってみると・・・こうなっちゃうんですね(笑)。
こんなママの機嫌に振り回されている娘たちが不憫。不調の原因は、いつもの生理前緊張症(PMS)だったみたい。学習して漢方飲めば良かった〜。
先週は大げんかして「ママキライ」と言っていた8才の長女は、また「ママ、ママ。」と寄って来てくれるようになりました。お手伝いを頼んだら喜んでやってくれました。頼られると嬉しいのかな。
娘たちはふたりとも背が伸びました。
実感したのは、長女が洗濯物を干すのを手伝ってくれるようになった時。そして、3才半の次女が自分で電気のスイッチを消したり点けたりできるようになった時。
不調の嵐が去って、また家族で穏やかな時間が過ごせそうです。部屋はまだ散らかり気味ですけど。
春休みはいろんな事をしたいな・・・。その前に、お彼岸中にお墓参りに行きたいです。
いざという時に、ご先祖さまに私たち家族を守っていただけますように(願)。
嬉しかった言葉 [産後うつ]
「居てくれるだけでいいよ。」
変わらぬ笑顔で、変わらぬ愛情を注いでくれる人です。いつもありがとう・・・。
そんな彼は、長い間私が家事ができないことについては特に何も言いませんでしたが、体調不良については「ガッツが足りない」程度にしか思っていませんでした。いくら育児のストレスを訴えても、自分の方が仕事で疲れている、という目線でしか見てくれませんでした。
私、産後うつかもしれない。症状がうつ病にピッタリだ。
そう伝えてからは、積極的にうつ病について勉強し、どう接したら良いか本を取り寄せたりして勉強してくれました。それは私の為だけでなく、彼自身も仕事のストレスを大変感じていたので、自分もうつ病に掛かっているのではないか?という心配もあったようですけどね。
そうして、うつ病にかかると心身ともにとても辛い状況になる、ということを知り理解を示してくれました。
昨年、次女の七五三のお参りから帰って、家族みんなヘトヘトで寝ころんでいた時に、彼はこんなことを言いました。
「は〜、疲れたぁ。オレがこんなに疲れてるってことは、お前は相当疲れてるだろう。大丈夫か。」
この言葉、嬉しかったな・・・。
他者の疲労感やツライ感情は、なかなか理解してもらうのは難しいですよね。
彼もかつては、むしろ不健康を忌み嫌うように「具合が悪い」と私が口にすると、「こっちまで気分が悪くなるから言うな!」と不快感を露にするようなタイプだったのですよ。風邪をひいたら近づいただけでも「うつらないように気を使え。」と露骨に嫌な顔をされたりね。
新婚の頃は、どうしていつもは優しい人なのに具合が悪い時は冷たいのだろう?と不思議に思っていました。結婚してから何年も経って、子どもが生まれたり色んな出来事があって、彼は随分変わってくれました。産後、怒りで荒れ狂っていた私が余程怖かったのかな〜。
今では理想の旦那さまです。「うちの旦那」と呼び捨てにはできません。大事にしないとね。
通販夫婦 [産後うつ]
旦那さまも通販好きです。彼もまた、骨折で入院中に買い物に行けなかった不自由さを感じ、ますます通販を利用するようになりました。
通販夫婦。気が合います。
宅配の人、またこの家かよっ、て思っているかな?なんてふたりで笑ったりして。
近くの店舗では手に入らなかったり、気に入ったものが見つからなかったりする物も、ネットで検索するとポンッと出てきたりするのって、なんだかねぇ・・・ヤバイ、通販にハマりますね〜!
お手軽ゆえに買い過ぎに注意しないと。送料無料サービスとか、キャンペーンとかチェックしながら、お得に買い物するように気をつけないとね。
入院中、病室から旦那さまが私の為に注文してくれた物がありました。
大塚製薬の『ネイチャーメイド』の「ネイチャーメイド マルチビタミン&ミネラル 」というサプリメント。
「お前、ちゃんと食べてないだろ。」と言って。確かに、昨年の夏は食欲がなくて、お湯かけごはんばっかりでした。
これ、一粒が大きい錠剤ですねぇ(ちょっとヤダ)。栄養たっぷりなのかしら。
今も時々飲んでいます。と言うか、飲みな!と注意されます。えーん。
月経前緊張症(PMS) [産後うつ]
グズグズする子どもに、沸き上がる苛立ちをこらえきれず、思わず怒鳴りつけて、ひっぱたいたり、蹴飛ばしたりしてしまって、人知れず罪悪感と自己嫌悪に涙してしまう・・・なんてことも、時にはありませんか?
本当なら、ゆったりと忍耐強く見守って、出来たらいっぱい褒めてあげて、子どもが進んで自分のことを自分で出来るように、優しく導いてあげたいのに・・・。
私は子どもの頃、母親から「早くしろ!早くしろ!」と、いつもどやされていたので、そんな母親にはなりたくない!と思っていたのですが、結局は同じように、長女が小さい頃は怒ってばかりのお母さんになってしまいました。
産後うつとは知らずに、かなり辛い状況だった訳ですけど・・・。
沸き上がってくる苛立ちを、コントロールできない。瞬間湯沸かし器のように爆発してしまう。
ドウシテナンダロウ・・・?
当時「ママがイライラしない育児」を主題にした育児書を何冊も買いました。
すでにうつ病を発症していたので、買った本はじっくりとは読めませんでしたが・・・内容はどれもこれも「こどもをゆったりと見守ってあげましょう」とか「ママの中の大人になりきれないインナーチャイルドが原因です。まずは自分の心を癒しましょう」とかいった、精神論の本がほとんどでした。
それで育児のイライラは、本当に解決するのでしょうか?
私は、産後うつとなり、うつ病の治療を始めてからつくづく思うことがあります。
女性の人生、毎日の生活に大きく関わることです。
育児中のイライラのみならず、学校でのイライラ、仕事中のイライラ、結婚生活でのイライラ、そして気分の落ち込みは、女性の体のバイオリズムと大きく関係しているのではないでしょうか。そして、そのことはあまりクローズアップして捉えられず、何となくやり過ごして暮らしていることがほとんど。
注:男性が言うと「セクハラ!」と怒られることがあります。
実際、うつ病治療中の今でも、生理前の不調の時は抗うつ剤や安定剤が効かず、情緒不安定になったり、ダメ期になったりしています。
過去を振り返ってみても、つまらないことで腹を立て、家族や友達にひどい態度をとってしまって、関係を悪化してしまったのもこの時期のではないかな・・・と心当たりがあります。
この生理前に起こる不調が、「月経前緊張症(PMS)」と呼ばれることを知ったのは、精神科に通院を始める前に行った、女性専門外来に置いてあったリーフレットを目にした時でした。「月経前症候群」と言われることもあります。
症状は人によって様々だと思いますが、よく聞かれる症状を記します。
<身体的症状>
微熱、頭痛、肩こり、肌荒れ、むくみ、腹痛、乳房の張りや痛み、だるさ、お腹の張り、腰痛、便秘など。
<精神的症状>
イライラ、眠気、不安感、気分の落ち込み、攻撃性、集中力の低下、意欲の低下、過食気味など。
このPMSの影響と、育児中のイライラを結びつけて、考えてみたことはありますか?
自分の体のバイオリズムと、怒りっぽくなったり、落ち込んだり、頭痛がひどくて辛かったりする時期とを照らし合わせ、生理前に不調が起こりやすいようでしたら、育児書の精神論だけでは解決できません。しかし、そのようなアドバイスをしてくれる育児相談のサービスは、ほとんどないのが現状です。
この不調に陥るバイオリズムに、自分で気付くことができれば用心できますが、毎日慌ただしく子どもと過ごしていると、PMSの悪影響に気がつかないまま、優しかったり怒りっぽくなったりする、ひどい「気分屋ママ」になってしまっているかもしれません(あ、私はまさにこれでした〜)。
あまり症状がひどくて辛いようでしたら、婦人科などを受診して相談してみるのも手かもしれません。子宮筋腫などの病気の症状からくるものでないか検査してもらったり、漢方薬を処方してもらったり、対処法を見つける手掛かりになるかもしれません。
ちなみに私は、顆粒の漢方が苦手なので、市販のロート「和漢箋」シリーズ(錠剤)の『柴胡加竜骨牡蠣湯錠』を服用しています。更年期障害の症状の緩和の漢方ですが、イライラにも良いみたいです。精神科の主治医の先生からも「いいお薬だから飲んでいいよ」と言われました。
この「和漢箋」シリーズでは他にも、ホルモンバランスの乱れによる月経不順を整える「温経湯錠」や、血流を改善してツライ肩こりに効く「独活葛根湯錠」、脂肪を燃焼し便秘にも効果的な「防風通聖散錠」があります。
この他、生理前・生理中の不調に効果的と思われる漢方薬は、「桂枝茯苓丸(ケイシブクリュウガン)」や、「当帰芍薬散(トウキシャクヤクサン)」、「加味逍遙散(カミショウヨウサン)」、「五苓散(ゴレイサン)」、「苓桂朮甘湯(リョウケイジュツカントウ)」などがあります。こちらは参考:「ツムラ」の漢方リーフレットより。
いずれにしても、服用していいお薬かどうかは、体質や副作用など人によって違いますので、詳しくはお医者様や薬剤師さんに相談してください。
その他の対策としては、カフェインやアルコール、過剰な塩分を控えるとか、血行をよくするように入浴や軽い運動をして体を温めるようにするとか・・・つい忘れて、なかなか実行できていないのですけどね〜。
精神論で解決できない、育児のイライラにお悩みのママさんへ・・・イライラ解消にこんなアプローチもある、という参考になれば幸いです。
母の存在 [産後うつ]
うちの母は、あまり子どもと話をしない人でした。
ある日、説明もなく車に乗せられて保育園に連れて行かれ、2年保育で年中から入園しました。私が4才の時ですね。
教室の入り口では、年少から居た女子のボスが腕組みをして、こちらをジロリと睨んでいました。彼女とは後に仲良くなりました。入園して間もなく血液検査があり、耳に針を刺されて血を採られ、恐怖のあまり大泣きしました。
毎日、帰る前におやつがあり、アルミの計量カップみたいなコップに、薄く膜が張っている生ぬるいミルクを飲まなければならず、マズくて嫌でした。保育園ライフの始まりの思い出です。
私が「母の存在」に気付いたのは、入園後間もない5月のことでした。
クラスのみんなに画用紙が配られて「もうすぐ母の日なので、お母さんの顔を描いてプレゼントしましょう。」と先生が言いました。画用紙の右側にはすでに「おかあさん、ありがとう!」と書かれていました。
そのように先生に促されて、4才の私は非常に困惑しました。
「お母さん」って、一体なに?誰のこと???
うちの家族のメンバーの顔を思い浮かべてみると・・・ひとりだけ誰だか分からない人がいました。いつも怒ったような顔をして、台所にいる女の人。あの人が「お母さん」なのか?それしか考えられないな。
だけど、どうして一番身近な存在のおばあちゃんを差し置いて、あの人の顔を描くのだろう?
なんであの人に「ありがとう」なんだろう?
しかも、帰りに絵と一緒に渡すようにと、ラッピングされたカーネーションを一輪持たされました。
なんであの人にお花まであげるのだろう???
そのとき初めて、「お母さん」だというあの人が、私にとって特別な存在なのかもしれない・・・と気付いたのでした。
これ、実話です(笑)。・・・ブログに書いているのはみんな実話ですけど。
その後も母の存在は、私の頭を何かと悩ませるのでした。
訳の分からない人・・・正直なところ、世の中で最も関わると面倒な人だと思っていました。
今はうつ病の治療・療養中なので育児を助けてもらっていますけど、実母との関係が子どもの頃から良くなかったことから、私は元々うつ病になる素因を持っていたのではないだろうか?と考えています。
実母のことを悪く書くのはタブーかもしれませんが、愛情不足の状態で育ってきたことは、うつ病の素因として大きかったと思います。母からすると私のことは、気難しくてすごく苦労して育ててやった、と言うでしょうけどね。
母子の関係は、愛憎渦巻く複雑な感情が介在するものです。意外とそういう人多いですよね。
そんなうちの母が作ってくれる「ポテトサラダ」は絶品です。それから、実家の畑で採れたほうれん草もメチャクチャ美味しい!気まぐれに、時々作ってくれます(ちょっといい所もフォロー)。
気持ちの整理中 [産後うつ]
でも・・・今日は何にも手につかず。モヤモヤしていました。
しばらく気持ちの整理が必要です。
夜になって、やっと「無駄足じゃなかった」と思えるようになりました。
これからまた、うつ病と向き合っていこう。私は強い。
ここから這い上がってやる!
与えるだけは止めてくれ! [産後うつ]
それで「GW中にパパが特訓してあげる!」と言って、昨日と今日暑い中、旦那さまは長女とふたりで自転車の練習に出掛けました。風邪気味の次女は、私とお留守番です。
旦那さまは、昨年の夏に自転車で転倒して大ケガをしてしまったので、まだリハビリ中ということもあり、仕方がない部分もありますが、正直なところ、自転車の練習はもっと前に見てあげて欲しかったです(不満)。
長女の1才の誕生日の時も、旦那さまは「どうしても何か買ってあげたかった」と言って会社帰りに、折りたたみ式のアンパンマンの三輪車を買ってきて、長女にプレゼントしました。後ろに親が押してあげる取っ手が付いているのでした。
それを見た時に、私に何の相談もなくそんな物を買ってきたことに対して、内心、すごく頭にきました(怒)。
そして、その後は思った通り、品物を与えただけで、休みの日に乗せて相手をしてあげるようなことはしてくれませんでした。自分の趣味の時間はしっかり確保していたのに。
イクメン気取りで、ただ品物を与えるだけ。子どもの相手や後片付けなど、後の始末はママに丸投げ・・・こういうの、ホントムカツキます!!
当時は産後うつだという自覚がなかったのですが、三輪車に乗せて相手をするなんて、私にとっては、とてつもなく苦痛でした。それでも長女の為に、何度か三輪車遊びにチャレンジしました。
しかし、教えても全然車輪をペダルを漕ごうとしない娘。しかも、ハンドルも動かしませんでした。
取っ手は車輪と連動していない付いているだけのタイプだったので、すぐに座礁して前に進めず。広い公園に連れて行っても、やっぱり一切漕がず。エイッと押したら、バキッと取っ手が折れました。溶接しないと直せないじゃん・・・。
三輪車は諦めたので、結局あまり乗っていません。次女も見てあげられないので、乗せていません。
16インチの自転車も、買ってからほとんど置きっぱなしで、何年も時間が経っていました。
旦那さまが自転車の練習を見てくれたのは、今回で5回目くらいかな・・・。
やっと昨日、長女は自転車に乗れるようになりました。おめでとう。やればできるじゃん!
パパが見てくれる気になってくれて、良かったねー。
ちなみに、最近の三輪車は取っ手と車輪が連動しているようで、子どもが漕がなくても方向転換ができるようです。「カジキリ機構」という機能付きのタイプです。
たまにお子さんを乗せて押しているママさんを見かけます。その後進化したんですね〜。
おしゃべりブザー付き三輪車 それいけ!アンパンマン アドバンスEXII
- 出版社/メーカー: エム・アンド・エム
- メディア: おもちゃ&ホビー
凹まないでね [産後うつ]
「オレ、けっこう頑張ってるのに・・・(シュン)。」
あ、あのね旦那さま。いちいち凹まないでください。ブログが書きづらいんですけど。
このブログは、産後うつを発症してしまったことを巡って、色々と考えさせられたことなんかを書き記している場であって、過去の旦那さまやうちの母の私への仕打ちを、今さら非難しようとか、糾弾しようとかいう意図はありませんので。
旦那さまには、娘たちが生まれて私が産後うつになってから、もう十分に誠意を尽くして頂いたと思っていますから。ご心配なく(笑)。
なぜ、私はうつ病になったのだろう?
そう思う反面、「なるべくしてなったのだ」という気もしています。
いつかは精神科の門を叩く日が来ることを予感していました。むしろ産後うつになったのは、治療を始めるいい機会だったのかもしれません。メンタル面で何らかの治療をしていなかったら、私はとんでもない悪玉ママになっていたのかもしれない・・・と感じています。
振り返ると、幼い頃から思春期、そして青年期のモラトリアムの頃に掛けての、抑うつ状態。睡眠障害。対人恐怖症ほか諸々の、うつ病を発症するに至る素因が思い当たります。
優しい旦那さまと結婚して幸せになった筈なのに、環境の大きな変化と、初めて他人と暮らすことで出来た「ひずみ」からくるストレス。そして、ついに産後うつを発症した経緯と、その後の地獄のような育児体験。うつ病の治療を始めてから今に至る療養育児。
長い時間を掛けて、私を心身ともに蝕んで来たうつの症状。それが何なのか。頭の中を整理し、推理しているのです。書き出すことは「セルフ・認知行動療法」のつもりです。
そして、私の経験や思ったことを書くことで、産後うつに悩むママさんたちや、育児中のママの気持ちを測りかねているパパさんたちにも、参考にして欲しいことや気付いて欲しいことを、私の記事のどこからか拾い上げて頂ければ幸いなのです。
書きたいことは、まだまだたくさんあるのですけど・・・。
何から書いたらいいのか、いつも迷いながら少しずつ綴っています。
腕の骨折の時 [産後うつ]
昨年の夏、自転車(MTB)で転んで大腿骨骨折の大ケガをして2ヶ月も入院したパパ。
その出来事は「青天の霹靂」でしたが、結婚後に彼が大きな骨折をしたのは、2度目でした。
遡ること10年程前の冬。スキーで転んで、腕の付け根の太い骨を骨折。そんなことがあったので、昨年の骨折の際には「またか」という思いもありました。スポーツにはケガが付きものですけどねぇ。ホントに・・・困ったものです。
腕の骨折の時の顛末は。
当時の彼は、冬になると週末、毎週長野方面のスキー場に仲間と車に乗り合わせて出掛けるのが「当たり前」でした。私の予定など聞かずに、いつもスキーに行く約束をしていました。
私が風邪をひいていても、「オレ、うつったら困るから出掛けた方がいいよね〜。」と満面の笑顔で言い残して、朝4時半起きでいそいそと出掛けてきました。
ある日、私が風邪をひいて熱を出している時、出掛けようとする彼に、「こんなに熱があるのに出掛けるのか」と問うと、その日は渋々スキーの約束をキャンセルしてくれました。
折しも冬季オリンピックの時期で、里谷多英選手がメダルを取った頃。スキーに行きたくてウズウズしている様子だったので、熱が下がった翌日「スキーに行ってもいいよ。」と言ってしまいました。それで、彼は県内の近場のスキー場にひとりで出掛けて行ったのですが・・・。
夕方、彼からケータイに電話が。「今、家の駐車場なんだけど・・・ゴメン。転んでケガしちゃったみたい。病院に連れて行ってくれるかな。」
その言葉にビックリして飛び起きた私は、整形外科に病院に電話して事情を話し、病院へ向かいました。
宿直の先生による診察。簡易検査のレントゲンを診ながら「折れてますね。」と言われた途端、彼の顔はみるみる青ざめ、大粒の汗が額にブワッと吹き出してきました。「大ごとになってしまった・・・。」と、どんより〜。彼はひとりでスキーに行ったので、腕の痛みをこらえて何とか自宅まで運転してきたのでした。
翌日、改めて検査・治療してもらいました。腕だったので入院はしませんでしたが、全治2ヶ月の重傷でした。骨が付くまで1ヶ月。リハビリに1ヶ月です。それ以来、ひとりでスキーに行くのは禁止しました。
腕の骨折が治るまで、腕が動かないストレスで彼はひどく不機嫌でした。
後から考えてみると、この出来事は彼だけでなく、私も不機嫌な彼から、大きなストレスを受け、身体の不調も徐々にひどくなってきたのでした。(つづく)
悲しかった言葉 [産後うつ]
遡ること10年近く前、旦那さまが腕の骨折をした時のお話の続き。
なぜ、そんな昔の出来事をほじくり返して書いているかというと、私がうつ病に陥ってしまった道程を辿る、セルフ認知行動療法の一環です。
考えてみると、産後うつを発症するずっと以前から、私はうつに蝕まれてきまいした。それこそ、子どもの頃から。その中でも、後から考えてみると旦那さまが腕を骨折した頃の出来事は、心身共に大きなストレスが掛かっていました。
結婚してから、なんとなく上から目線で物を言うようになった旦那さま。普段は優しかったし、実家に居た頃感じていたストレスから解放されて、十分幸せだと感じていたので、その「オレ様」ぶりにストレスを感じながらも、何となく見過ごしていました。
当時は、遅くまで残業をして懸命に働いてくれている彼に対して、負い目と言うか、週末に趣味に熱中することに文句を言うような立場に、自分はないように思っていました。
スキーで転んで腕の付け根の太い骨を骨折してしまってから、暫くは会社を休んで家に居た旦那さまは、口数も少なく暗かったです。彼のサポートをしようと、3食ご飯を用意し、家事や買い物をし、着替えの手伝いや身の回りの世話をし、整形外科の通院にも毎回付き添いました。
しかし、自分のことを後回しにしていた為、私は風邪をこじらせてしまいました。ノドの痛みで夜も眠れず、一時間ごとに起きて水を飲んだり、飴を舐めたり。咳が止まらず苦しくて涙が出る程でした。
朝、旦那さまに「夕べはノドが痛くて眠れなかったよ。咳が止まらなくて腹筋が痛い。」というと、彼はこちらも見ずに、「良かったじゃん。腹筋が鍛えられて。」と、冷たく言い放ちました。
え?良かったじゃん?・・・聞き違いかと思いました。
「良かったじゃん・・・って、こんなに辛いって言ってるのに、ヒドイんじゃない?」と言うと、彼はブスッとした態度で、「具合が悪いとかって言われても、その本人じゃないから分かる訳ないだろ。こっちまで気分が悪くなるから、いちいちそんなことを言うな。」と冷ややかな対応でした。
そして、「オレは骨折しているんだよ!」と言いました。
骨折>風邪、ってこと?
この時、ぶっちゃけ遊びに行って大ケガして来たくせに、ふざけんな!と、はらわたが煮えくり返ると同時に、自分が大変な時だからといって、私に対して思いやりを持って接してくれない彼に失望しました。
それでも気を取り直して、風邪を治すために掛かり付けの内科を受診しました。久しぶりに行ったその医院では、おじいちゃんの先生からその息子さんの若い先生に変わっていました。
私の真っ赤っかに荒れて重症のノドを見て、「ああ、これは辛かったですね。痛かったでしょう。こじらせちゃいましたね。」と優しい言葉を掛けて頂き、涙が出そうでした。「理解という名の癒し」をいただきました。抗生物質と咳止めのほかに、眠れるようにと鎮痛剤を処方して頂き、1ヶ月ほど掛かって風邪がやっと治りました。
しかし、この頃から年中風邪をひきやすくなり、その度に夜も眠れない程のノドの痛みに悩まされるようになりました。一度発症すると咳が1ヶ月も続きました。
体調が悪くなるにつれ、家の手入れも行き届かなくなり、前に住んでいた平屋の貸家は冬結露がひどかったので、カビやハウスダストなどのアレルギーを発症して、ノドの痛みが酷かったのかもしれません。
この慢性的な風邪の重症化のほかに、また私が体調を悪化させる出来事が。
彼のおばあちゃんが亡くなり、通夜や告別式が続き、更なるストレスにさらされたのです。(つづく)
肩こり重症化の始まり [産後うつ]
10年程前、旦那さまが腕を骨折した頃のお話の続き。
山崎まさよしさんの曲で、SMAPが歌ってヒットした『セロリ』という曲の冒頭の詩のように、「育ってきた環境が違うから、すれ違いは否めない」なのでしょうか?
普段は優しいのに、私が具合が悪い時に限って不機嫌で冷たい旦那さま。この態度は私にとっては非常に不可解なことでした。
どうやら、若い頃から苦労して、我慢強く弱音を吐かない立派なご両親の元で育った彼には、体調が悪い時に「具合が悪い」と訴える私の行動の方が、不可解で不愉快だったようです。「ガッツがない」とかね。その上、体調が悪い時の私の様子を「ひどく機嫌が悪い」と受け取っていたみたい。
個人の受け取り方って、分からないものですねー。結婚して同居するようになってから、初めて分かる軋轢の種です。心身共に弱っている時は、むしろパートナーは心配して、優しく労ってくれるのが「普通」なのかと思っていました。
慢性的に風邪をひきやすくなり、ノドの痛みや、1ヶ月も続く咳に悩まされるようになった後も、腕を骨折した彼のサポートすべく、私は献身的に尽くしました。でも、彼は腕が自由に動かないストレスから、口数が少なく不機嫌な状態が続いていました。
会社に行くようになってからは、通勤も送り迎え。整形外科の通院にもいつも付き添いました。
そんなある日、彼のおばあちゃんが亡くなった、という知らせがあり、通夜や告別式などの葬送の儀式が続くこととなりました。彼の実家は色々とお付き合いが多く、兄弟も多いので、盛大な葬儀が執り行われました。ただでさえ、彼の親族が大勢集まる場なので、極度の緊張もありました。
彼は三角巾で吊った腕に黒いスーツを羽織り、私は嫁入りの時に実家で持たせてくれた黒の和装で参列しました。着物を運ぶのも、引き物を運ぶのも私の仕事。葬儀後の初七日では、たくさんの参列していただいた方々にお酌をしてまわりました。その嵐の様な日々が去ると、疲労困憊・・・。
この辺りから、肩こりがひどくなってきて、それに伴いひどい頭痛に悩まされるようになりました。それでも、休む暇がなかったです。
ある朝、彼の通院の日。私は頭痛がもう限界で目も開けない程で、「午前中は休ませて欲しい。」と頼んだのですが、彼は「化膿止めの薬が無くなるから困る。どうしても午前中行かなければならない。」というので、なんとか根性で病院まで運転して行きました。
病院での長い待ち時間・・・頭痛のあまり吐き気がしてきて、イスにも座っていられなくなり、廊下にしゃがみ込んで、通りかかった看護師さんを捕まえて、「肩こりが原因だと思うのですが、頭が痛くてたまらないので、私も診て下さい。」とお願いしました。
そして、上半身のレントゲン写真と、念のため頭部のCTスキャンの検査をしてもらいました。
旦那様と一緒に診察室へ。彼の経過は心配なし。私は頭部は異常なしでしたが、姿勢の悪さも影響していて、やはり肩コリの痛い部分が炎症を起こしているのでしょう、とのことでした。冷湿布と筋弛緩薬の飲み薬を処方してもらいました。そして後は、とにかく家でゴロゴロして休んでください、と言われました。
この日から、夫婦揃っての整形外科への通院が始まり、家で私がゴロゴロ休んでいても、彼は何も言わなくなりました。少しはこちらの心配もしてくれたのでしょうか(不明)?
彼の腕の骨折は、1ヶ月後には骨が付きましたが、予想以上に筋力が落ちていて腕が全く上がらない状態で、本人はだいぶショックを受けていました。さらに1ヶ月、整形外科のリハビリに通い、家でも自主的にリハビリに励み、努力の甲斐あって元通り腕が普通に動くようになりました。
腕が良くなった頃になって、彼は以前のニコニコ笑顔でこういいました。「思うように動けないとストレスが溜まっちゃうね〜。」・・・もしかして、言い訳か?
私は、この時期に肩こりを重症化させてしまってからは、肩こりからくるひどい頭痛が慢性的になってしまい、持病のように繰り返すようになりました。整形外科への通院は、待ち時間がとても長くて、かえって疲れが増すので辞めてしまいました。
ノドの強い痛みと長引く咳の風邪をしょっちゅうひき、ひどい頭痛を伴う肩こりで起き上がれなくなり、そしてPMS(月経前緊張症)の不調、生理痛・・・元気に動きまわれる日が、1ヶ月の内に1日もない・・・そんな生活は、長女を出産する以前からすでに始まっていたのです。
うつの症状が、体の不調という形で表に現れ始め、次第に私は「うつ病」に蝕まれていったのです。(つづく)
自分を信じて [産後うつ]
貧血の治療は、内科の先生によると鉄剤の点滴12本で改善される見通しとのことで、平日は出来るだけ通って12回の点滴を終えました。あとは一日一回の鉄剤の服用です。月末に再び血液検査に行く予定です。
貧血の症状が改善されてきたものの、強い眠気の麻酔のような効果が切れると、うつ病の症状が優位になってまた神経が張り詰めるようになり、頭痛や肩こりに悩まされるようになりました。
10月になっても、子ども達の運動会が近づくにつれて緊張感が高まり、苛立ちを感じるようになり・・・。
安定剤は、依存しないようにと処方を減らされてしまったので、できるだけ服用を控えていますが、苛立ちが辛い時は我慢しないで服用するようにしています。
今は、どうしたら自分の負担を減らせるのか、そしてまた、サポートしてくれている家族の負担もどうしたら減らせるのか、考えなければならない時期に来ています。
産後うつから這い上がるのは、容易な事ではありません。
でも、自分を信じて。
本来の私は、こんなじゃない。
馬車馬のように家事も仕事も頑張りたい、真面目な人間だったはず。
怠け者な訳じゃない。病気が治れば、もっといろんなことが出来るはず。
同じ悩みを抱いているママさんたちも、まずは自分自信を信じてください。
うつ病の症状がヒドイ時は、ひどく自分がダメな人間に思えてしまうけれど。
本来の自分を思い出して、決して諦めないで下さい。
母が亡くなりました [産後うつ]
諸事情によりご報告が遅れまして、もう幾日か経つのですが・・・。
小春日和が続いていた頃の某日、兼ねてから病気療養中でした私の実母が思ったよりも早く逝ってしまいました。享年66。
現代ではまだ「若い」と言われる年齢。しかし母の死は「あっけなく」ではありませんでした。「粘って、食い下がって、しがみついて」それでも力尽きてしまった壮絶な闘病の末の最期でした。
もうこれ以上の延命は可哀想だから・・・と話し合いで決めて、お医者様に呼吸器を外して頂き、近しい親族に囲まれ見守られて息を引き取りました。
自宅に弔問に来てくださった多くの方々がハッと息をのむ程、ちょっと前の元気だった頃とはすっかり変わってしまった母の容貌を見て、「ずいぶん大変な思いをしたのだね・・・」とたくさん涙を流してくださいました。
母の通夜・告別式はまるで夢の中の出来事のように過ぎて行き、結婚して実家を出てからは毎日顔を合わせていなかったせいか、母が居なくなった実感がまだ薄いような気がしています。亡くなった頃を思い出すとやっぱり、涙が滲んできてしまいますが・・・。
お見舞いの度に「必ず良くなるよ」と言い続けた私は嘘つきになってしまいました。
母の病気についてはたくさん勉強したのに「助けてあげられなくて、ゴメンね・・・」。そう言って見送りました。珍しい病気、珍しい症例でした。未だに「なぜ?」という思いが残ります。
四十九日と納骨は来年執り行います。
これからもっと親孝行してあげたかったな・・・。
療養中の母の願いは、母のような病気の被害者をこれ以上ださないように、世の中に病気の情報を伝える事でした。
「産後うつ」を知って欲しい、とブログを立ち上げた私と同じ発想。
私のそういうところは、母から受け継いだのですね。うつ病になってからも死なずに地獄から這い上がろうとした、どこからか沸き上がってくる強い気持ちも、母が私に与えてくれたのかもしれません。
落ち着いたら母の病気についても記せたらなぁ、、、と思っています。
産後うつ10年目 [産後うつ]
私が産後うつを発症して10年、精神科に通院を始めて5年が経過したことになります。
子どもが大きくなるのってどこからか、あっという間に時間が過ぎてしまうのですね。まだまだ幼いふたりですが、優しく可愛らしく成長してくれています。
天然の長女は、脱ゆとりの為に教科書がいささか分厚くなってから勉強が大変みたい。教室でテストの点数が良いと大喜びし、悪いと涙を流して泣くそうです。点数がバレバレじゃん・・・。
お調子者の次女は、しょっちゅう転んだりあちこちぶつけたり、元気いっぱいです。「小さなケガはすぐ治るけど、大きなケガはしないでね〜。」といつも言っています。
さすがに10年も経つと、心の傷が癒えるといいますか、産後辛かった時期のことは忘れられないけれど思い出すことは少なくなりました。
うつ病の治療の効果が上がっているのかもしれません。病院に行くのが遅れたので、治療が長引いていますが・・・。
ちょっと前からCMなどでも流れていますが、うつ病の症状は精神に現れるばかりではありません。頭痛や肩こりなど、身体の痛みが強く出ることもあります。
うつ病の症状などが書かれているパンフレットのHPはこちら↓
http://www.utsu.ne.jp
私もそうでした。
顔面が痛くて目が開けられない程のひどい頭痛に年中悩まされていました。最近はこの痛みが起ることがめっきり少なくなったので、とても過ごしやすいです。
うつ病は脳の故障。脳の疲労が、身体の疲労に繋がっているような気がします。
お心当たりの方は、精神科や心療内科に相談してみて下さい。
よく自殺防止の「いのちの電話」とか宣伝していますが、ぶっちゃけ掛けてみたとろで、話を聞き流されるだけのことが多く救いになるとは思えません。
信頼出来るお医者様と出会えることが、うつのアリ地獄から這い上がる第一歩だと思います。その為には周囲の人に打ち明けて、病院に付き添ってもらうなど協力してもらって下さい。
産後うつを患うのは、赤ちゃんが居る方がほとんどだと思いますので、パートナーであるパパの協力が不可欠です。
ママが元気じゃないと、子どもにも大きな悪影響が及ぶ、ということを肝に銘じて救ってあげて下さい!どうか、お願いします。
涙が枯れるまで [産後うつ]
TBS『コウノドリ』『コウノドリ2』、NHK『透明なゆりかご』です。いずれも産婦人科を舞台にした物語の作品です。おそらく号泣してしまうから、観たいけれど保留にしていました。
長女が15歳になり、私が産後うつの症状に悩まされるようになってから、すでに15年が経過したことになり、そして次女が10歳になり、精神科に通院を始めてから10年経ちます。
長女の誕生日は、正直なところ私にとってものすごく悲しい思いをした日でもありました。
破水して緊急帝王切開で取り出された赤ちゃんは1,500g程の極小低体重児で、NICUで保育器の中に入れられて、たくさの管と心電図のパッチをつけられていました。ショックで悲しかったのはそれだけではありませんが・・・。
何年もの間、その時のことを思い出したり、色々な思いが頭を巡って、年中ひとりで夜中に泣いていました。産後うつを知るまでは、なぜこんなに辛いのか、それすら分かりませんでした。
うつ病、双極性障害などは、とかく気合が足りないとか気の持ちようとか誤解されがちですが、それは違います。それまでできていたことができなくなったり、集中力が低下したり、判断力が低下したり、睡眠障害や頭痛、肩こりに悩まされるような症状もあります。
いつまでも昔のことを思い出して涙が出てしまうのも症状のひとつかもしれません。
しかし、今年の長女の誕生日には、涙が出なかったことに気がつきました。
そうか、もう大丈夫になったのかな、と思いました。
涙が枯れるまで15年掛かったのか、と。
双極性障害の治療を始めてから服用している気分安定薬が効いているだけかもしれませんが、前述のドラマもそろそろ観ることができるかもしれないな・・・なんて考えています。やっぱり泣いちゃうかもしれないけど。 (ToT)
産後うつから始まり、今も生活に支障があり苦悩しているものの、現状はあまり深く考えずにのほほんと暮らしています。
ブログを書くことができなかった間の、2016年、2017年の一番症状がひどかった年に、この病気は舐めたら怖いな・・・という事態がありました。
その為今のところは、片付け他家事全般ができず家が汚くなるのと、薬の副作用かもしれない体重増加と引き換えに、安定した情緒を選んで過ごしています。
それでも、産後うつを発症した頃のことを思い出しても涙が出なくなったのは進歩です。15年の時間が心を癒してくれた、ということでしょうか。
それでもあの頃の、妊娠中からの主人の態度への恨みつらみは忘れることはできません。お腹が大きくなっても同じ家にいるのに一人ぼっちでいるような寂しさ・・・。
いつまでも根に持っていると言われますが、そのうちブログに書き残してやるぅ。
_ _ _φ( ̄ー ̄ )
毒母に悩む家族? [産後うつ]
本をたくさん買いました。
通販の購入履歴を見ると、『シックマザー』『母という病』『うつと気分障害』『毒親の棄て方』『毒になる親 一生苦しむ子供』『私は私。母は母。〜あなたを苦しめる母親から自由になる本』『親に壊された心の治し方』等々・・・その手の書籍を10冊前後購入していました。
娘たちに、瞬間湯沸かし器のようにキレてしまっていた時期でした。
毒母である私から逃れて、自立した方がいい、そんな思いで買って置いていました。私自身はうつ病になってから本が読めなくなったので、娘たちが勝手に読めばいいと考えていました。
家族に尽くす、優しい母になれないコンプレックス。
私は毒母、私は毒母・・・そう思い詰めても、双極性障害の治療を始めて情緒が安定するまでは、だらしない家族に苛立ちを覚えていました。そしてしょっちゅう怒鳴っていました。
長女は対処法を知っていて、私の機嫌が悪そうな時は子供部屋に行ったきり、私に近づきませんでした。前述の本も読んだようですが、何が書かれているのか私には分からないので、どう感じたのだろう?と気になっていました。
先日、感想を聞いたところ「結構ためになったよ。」なんて笑顔で言っていました。お話として読んで、うちのママはまだマシ、とでも思った様でした。そして「ママは毒母じゃないよ。分かんないよ〜。」と笑っていました。
パパも私がキレた時は怯えていました。
ある時、私がいない時に私のことを「ババァ」と言っていた、と次女が密告してきました。
私:「ババァ?普段、陰でそう呼んでいるのか?」
パパ:「いや、そんなことは言ってない!」
この一点張りで認めようとしないパパ。なんだかイライラしてきた私が放った暴言がこれ。
私:「今度言ったら、寝てる間に除毛クリーム頭に塗って、カッパにしてやるぞ!」
パパは震え上がり、ママが怖い、と娘たちのところで怯えていたそうです。
パパは無神経なところもあるけれど、いつもニコニコしていて憎めないタイプなので、意外とわが家は平和です。「カッパにしてやる」は冗談で時々言ってます(笑)。
情緒が安定している今も、家事がほとんどできていない私は「私は毒母?」の呪縛から逃れられていないのかもしれません。
でも、娘たちは側に来て話をしたり、もたれかかって来たりする様になったので、以前よりはずっといい関係になれているのかな。次女はママっ子で毎日抱きついて来ますし、長女も隣に座って学校での話をしてくれます。
家の中はごちゃごちゃですけど・・・うーん(悩)。
ペンギンになった日 [産後うつ]
当時、幼稚園児だった長女は朝からグズっていました。抱っこ抱っこと言ってひっついてきて。
その頃の私はまだ産後うつに気づいていなかったので、頭痛や肩こり痛に悩まされて長女のグズりに苛立っていました。が、必死に「可愛がって育てたい!」と、もがいておりました。
2階建ての戸建てになり、寝室も2階になりました。なんとなく階段を降りる時に違和感を感じていたのですが・・・階段くらい降りられない訳がない、と高をくくっていました。
しかし、後になって考えてみると、鬱により集中力が低下し、ふらつきもあったのだと思います。階段を降りる時はめまいのような感覚もあり、大変危険な状態でした。
ある日いつものように抱っこ抱っことせがむ長女を抱えて、階段を降りた時、ついに足を踏み外して踊り場まで落ちました。
泣き叫ぶ長女を見ると、足のすねのところを打ったみたいで内出血しているようでした。
「大丈夫?大丈夫?」と介抱しながらも「痛い!だ、大丈夫?痛い!大丈夫?痛い!」と悶絶する私。臀部を強打していました。それに気づいた長女は泣き止んで「ママ大丈夫?」と言って大人しく1階まで降りてくれました。
骨折などの大事には至りませんでしたが、ふたりで階段の出っ張りで強打した箇所を保冷剤で冷やしました。そして湿布を貼って、なんとか幼稚園まで車で送って行きました。
幼稚園の園庭はペンギンのような歩き方で長女の手を引いて行きました。家の中でも2日ほどペンギンになりました。わが家ではこの出来事を「ペンギンになった日」と呼んでいます。
階段を落ちてからは、長女は朝抱っこ抱っこと、せがまなくなりました。
私も階段を降りる時は慎重に足場を確認するようになりました。1度ペンギンになったおかげで、めまいのような感覚は気のせいではなかったのだ、と確信できました。
そして、階段から落ちておいてよかった、と思うことになりました。
その約1ヶ月後、次女をお腹に授かりました。危なかった〜。