大晦日 [トホホ療養日記]
2019年最後の通院日 [双極性障害の治療]
いつからか主治医の先生はにこやかに迎えてくれるようになり、話もゆっくり聞いてくださいます。元々物静かな感じの方ですが、だいぶ印象が変わりました。先生とお話しするとなんだか癒されます。
「その後どうですか?」と問われるので、いつものように前通院日以降の3週間の生活を報告。
「それが、前半はダメダメでしたけど、後半は良かったです。急にお風呂場の大掃除ができました。それから、できなくなっていたお洗濯も急にできるようになりました。」と調子がいい旨をお話ししました。
先生に「それはいいですね。急にとおっしゃいましたが、前兆はあったのですか?」と問われたので、考えてみると「えーと、不要になった衣類の処分ができました。捨てたり、リサイクルに出したり。」とできたことが他にもあったのでした。
そう、ずーと前に仕分けだけして放置していたもう着られない衣料品の山を片付けることができました!ご近所にボランティアで子供服の古着を扱っていらっしゃる方がいまして、もう何年も前に声を掛けられたのにやっと応えることができました。
お風呂場のお掃除も、赤カビ黒カビが発生していたのが気になっていました。以前は洗剤をいろいろ買って試していたので、この場所にはこの洗剤、というのがありスッキリきれいになりました。天井の黒カビだけ旦那様に拭いてもらいました。言わなくてもやってほしいところです。
お洗濯はできるようになるまでが大変でした。洗濯機の排水のゴミ受けを全く掃除してくれないので、ヘドロがたまった状態でした。繊維が絡まっているので爪楊枝で取り除いて、やっとできるようになりました。元々私は毎日フィルターやゴミ受けは掃除する派です。
他に、子供部屋の大掃除もできました。なんだか臭くて・・・布団やベッドの隙間から靴下の片方がたくさん出てきました。布団も夏掛けが大量にベッドに乗ったままだったので撤去しました。順に洗濯しています。
「すごいじゃないですか。調子が良さそうなので、お薬はこのままでいきましょう。」と先生に褒められました。嬉しかったです。
「これ、躁状態なのか、調子がいいのか、分からないんですけど・・・休むのを忘れてしまうので。」と聞きますと、先生は「それ(休むの)を心がけていれば、調子がいい方だと思いますよ。」と言われました。次回は年明けなので「先生、良いお年を。」と言って診察室を出ました。
まだ家の中はぐちゃぐちゃで、これで年を越すのか・・・とげんなりしますが、洗濯は継続できるように毎日気をつけています。旦那様に任せていると、またヘドロになってしまうので。
その後、キッチンの排水溝が詰まったので掃除をしましたが・・・奥の方が今まで見たことがないほど黒カビで真っ黒でした。ひええええ。
うちの旦那様、掃除が嫌いなんですよね。娘たちもだらしないし。
家の中がぐちゃぐちゃなのは私のせいかと思っていましたが、家族の協力が今ひとつだからかなー。
まだやりたいことはたくさんありますが、休み休みできることをやっていこうと思います。
ふたご座流星群 [育児あれこれ]
そういえば、ふたご座流星群が見られるってネットニュースで見たような・・・と思い出し、外に出てみました。すると、早速2〜3個流れ星を見ることができました(感激)。
何にも予定のない日曜日だったので、寝ている娘たちを起こしに行きました。
「ねぇ、チビちゃんたち。起きて〜。ふたご座流星群見ようよぅ。」と小声で呼びかけると、小5の次女は爆睡していて全く起きませんでしたが、高1の長女が「見たい。」と言って起きてくれました。
あ、娘たちは私の身長より既に大きいのですが「チビちゃんたち」と呼んでいます。ちょっと前までは「はーい。」とふたりで返事をして駆け寄ってくれるのが可愛かったのですがねぇ・・・。
外は寒いので毛布にくるまって北東の方角あたりの夜空を長女とふたりで見上げました。
文字通り「あっ」という間に、流れ星が1つ見えました。そしてしばらく待つとまた1つ、今度は前のよりも長めに星が流れました。
「生まれて初めて見た。きれい・・・。」と長女は大変喜んでくれました。でも寒がりなので「もう寝るね。」と言って家の中に入って行きました。
私は粘って、最終的に15個の流れ星を見ることができました。ヤッタ〜!
瞬く間で願い事はできませんでしたが、何かいい事がありそうな気分♪
翌朝、次女にそのことを話すと「何で起こしてくれなかったのぉ???」と怒っていました。
「起こしても、あんたが起きなかったんでしょ!」と一刀両断で終わりました(笑)。
母の7回忌法要 [トホホ療養日記]
実母が病気で亡くなり丸6年が経ったわけですが、未だに何ともやりきれない想いが残っています。
母は私から見ると「変わった人」でしたが、対外的にはとても親切で和を重んじていた「いい人」でした。特にお年寄りには親切でした。ガーデニングにハマってからは、家族に対しても性格が丸くなって笑顔が多くなりました。そんな母を喜ばせようと、よく園芸店に連れ立って行ったものです。
そんな人が1年足らずでしたが病気の治療でボロボロになるまで苦しんだ挙句、亡くなったというのはとても辛い記憶となっています。そんなに悪い人ではなかったのに、なぜあんな苦しみを?
病気なので仕方がなかったものの、母を「助けてあげられなかった」という懺悔のような気持ちもあります。私は医療関係者ではありませんが、母の珍しい病気について当時取り憑かれたように随分勉強しました。新しい情報はないか、症状が改善する方法はないか、と。
なぜ医者でもないのにそんなに病気について勉強したのか、と申しますと、若い頃テレビで見た映画の影響が大きかったです。
医者も匙を投げた病から息子を救おうと、母は懸命に看護し、父は図書館で病気について徹底的に勉強して治療法を模索する・・・というようなあらすじの、実話を基にしたお話です。
映画『ロレンツォのオイル/命の詩』(1992年/米)という映画。
うちの母の病気について深く知ることができたことは良かったと思いますが、結局母は亡くなってしまったのが悔やまれます。大きな病院に紹介状を書いてもらうのが遅れたのが致命的だったのかな・・・今も答えは見つかりませんけど、時間が経ったので母の死を受け入れられるようになりました。
先日、もう必要ないので、厚さ10cmほどのプリントアウトした病気に関する資料の束を処分しました。たくさんの赤線や付箋がついていました。専門誌もネットで取り寄せて、蛍光ペンで塗りながら何度も何度も読み返しました。鬱のせいで活字があまり頭に入らなかったので・・・。
1回忌と3回忌の法要の時は、お経を聞きながら薬の副作用の眠気で居眠りしてしまいましたが、7回忌では居眠りはしませんでした(笑)。喪服も太ってパンパンだったので事前に新調しました。
お墓は母が好きだった花がいっぱい手向けられ、皆で亡き母を偲びました。